伝説の名竿「山下竿」

シリーズ№4 伝説の名竿「山下竿」

伊豆から移住した出稼ぎ釣り師 山下福太郎

<伝説の名竿「山下竿」が下呂市馬瀬の<美輝の里 ホテル美輝>に展示されました。

ぜひ、見てください。

そして新しい川文化に触れてください>

 

「山下竿」とは、伊豆の出稼ぎ釣り師 山下福太郎によって作られた和竿です。

和竿は竹で作った日本独特の釣り竿であり、

<美輝の里 ホテル美輝>に展示される<山下竿>は鮎釣り用です。

竹の原形を生かした4本継ぎで、差し込みには金具が付く。長さ9.3m、重さ1.35㎏。竿元を腰にあてがうため、木の玉が埋め込んである。

この山下竿を所有していたのは馬瀬西村で生まれ育った池田等さん(80歳)です。鮎釣り用の「山下竿」がそのまま現存するのは今やこの一本だけでしょう。

 

<伊豆の出稼ぎ釣り師>

明治40年代から大正初期にかけては、伊豆狩野川の友釣りが飛躍的な進歩をみせ、近代友釣り技法の基礎が確立された時期となる。

鮎は稼ぎになる魚となり、他国の川へ遠征する出稼ぎ漁連中が次々と出現した。

逆さ針や仕掛けを工夫した近代友釣り漁法を大正時代に岐阜県内に持ち込み根付かせたのは伊豆の出稼ぎ釣り師である。

 

山下福太郎(やました・ふくたろう)

1899年(明治32)~1963年(昭和38)

静岡県賀茂郡上河津村(現河津町湯ケ野)出身。

伊豆の出稼ぎ釣り師の中で唯一人、長良川、飛騨川、馬瀬川筋に定住しながら鮎釣りと自作の「山下竿」を売り、杣(そま)人としても生活。

岐阜の土着の釣り人に最も影響を与え、なりわいとしての釣りを発展させた。超人的な水への強さと素っ裸での釣り姿から日本の川釣り人物史上、特異な人物と見られる。「郡上竿」は郡上の竿師たちが山下に学びながら生み出したものである。

昭和15年に41歳で馬瀬村(現下呂市馬瀬)に入る。

敗戦翌年の昭和21年に飛騨萩原へ移り、64歳で亡くなるまでの17年間を飛騨萩原で暮らし、墓は飛騨萩原にある。

 

伝説の名竿 山下竿

山下竿を手に持つ馬瀬川上流漁協組合長 老田達男さん(馬瀬川=馬瀬西村 2011年6月10日撮影

<和竿>(鮎釣り用)

全長 9.3

重量 1.35

継数(本) 4

製作者   山下福太郎(伊豆の釣り師)

製作年   1951年(昭和26)頃

所有者   池田等(下呂市馬瀬西村)

 

<資料作成者>

馬瀬川上流漁業協同組合 組合長 老田達男

岐阜の川人文化研究会  代表  長尾伴文

4本継ぎの「山下竿」

(2011年10月16日)

<参考資料>

岐阜新聞<ぎふ快人伝>

2011年6月19日付

岐阜の川人文化研究会 長尾伴文(寄稿)

馬瀬のホテル美輝に展示される「山下竿」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラックバック

このブログ記事に対するトラックバックURL:

コメント & トラックバック

金指 :

はじめまして。
この竿の事が知りたくて検索したら、こちらにヒットしました。
河津生まれ、河津育ちで、かなりの鮎釣り好きの父が大事にしていた、こちらの山下竿が
父の遺品で出てきました。
とても大事にしていた物で、ご本人が1番いい出来のものを当時売ってくれたそうです。
ずっと放置していて、状態は良くないかもしれないのですが…
こちら、珍しいものなんでしょうか?

長尾伴文 :

金指様

私のメールへ連絡いただけないでしょうか。
直接、話したいです。

長尾伴文
090-8736-7318
nagao@maiyama.com

コメントする

CAPTCHA


地域社会の創造活性化プランナー

長 尾 伴 文

<ましたオフィス>

〒509-2623

岐阜県下呂市金山町菅田桐洞130

E-mail nagao@maiyama.com

お問い合わせ、ご連絡はこちらからお願いいたします

携帯090-8736-7318

FAX 0576-33-2038

2019年5月
« 9月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031