漁具と川人

魚皮拓「銀鱗の魚暮らし」展
~馬瀬川に棲んでいた魚たち~
南飛騨馬瀬川温泉 美輝の里

魚皮拓(ぎょひたく)

魚皮拓とは、生の魚の皮を剥ぎ、

魚の形状と色をそのままに保持するためミイラ状態になるまで乾燥させたもの。

下呂市金山町の故高木宜雄氏が考案開発した世界で唯一の魚保存法であり、

昭和30年代に捕られた魚でも顔、ウロコ、ヒレをそのまま現代に浮かび上がらせます。

 

現在、馬瀬の美輝ホテルのロビーには

魚皮拓「銀鱗の魚暮らし」展 ~馬瀬川に棲んでいた魚たち~

のタイトルで「魚皮拓」が展示されています。

「山下竿」の展示と合わせて見てください!

魚皮拓美輝

 


銀鱗の魚暮らし展

~魚皮拓(ぎょひたく)と下呂の漁具(ぎょぐ)

世界で唯一の魚保存技法「魚皮拓」一挙22点公開

下呂の川で使われた幻の漁具 初公開

伝説の釣り師 山下福太郎を解説

漫画作品「釣キチ三平」と飛騨金山の関係再現

川と水の民話朗読

岐阜は山と川の国、川魚(かわうお)の国です。

川の瀬や淵、池、沼、田んぼへの用水路を舞台に、魚との知恵比べを展開しながら様々な漁法や漁具が生み出されて来ました。

川漁(かわりょう)を生業(なりわい)とする時代も存在しました。

今回の<銀鱗の魚暮らし展>では魚皮拓と昭和10~30年代に下呂の河川で使われた漁具を披露しながら、時代の魚暮らしを楽しく探ります。

 

魚皮拓(ぎょひたく)

魚皮拓とは、生の魚の皮を剥ぎ、魚の形状と色をそのままに保持するためミイラ状態になるまで乾燥したもの。

飛騨金山の故高木宜雄氏が考案開発した世界で唯一の魚保存技法。

 

<企画出展者>

岐阜の川人文化研究会 代表 長尾伴文

〒509-1623 岐阜県下呂市金山町菅田桐洞130

携帯090-8736-7318 nagao@maiyama.com

<協力者>

馬瀬川上流漁業協同組合、馬瀬川下流漁業協同組合、益田川漁業協同組合、

若竹屋(萩原町)、竹田屋(焼石)、二村釣具店(下呂町)、あまの(萩原町)、馬瀬川プロデュース(馬瀬)、

水辺の館(馬瀬)、森のなりわい研究所(萩原町)、丸田屋(萩原町)、ホテル美輝(馬瀬)、

民宿金山荘(金山町)、浅井彰子(岐阜市)、ぎふ魚食文化サロン(岐阜市)

 

<展示期間>

平成25年月6日(水)~4 月1日(月)

<開催場所>

湯の街ギャラリーさんぽ道

(下呂市湯之島908番地)

0576-25-6611

開館時間:10:00~18:00 火曜日定休

入場無料

<お問合せ>

下呂市観光商工部観光課

0576-24-2222(代)

銀鱗の魚暮らし展

魚皮拓(川ムツ)

魚皮拓(カジカ)

魚皮拓(鮎)

魚皮拓(ウグイ)

シカ角タモ

竹筒のエサ箱

昭和初期のイワナびく(左)・アマゴびく(央)、ウナギびく(右)

ウグイ用巨大ウエ

アジメ筌(ウエ)

アジメびく

 

 

 

 

 

 

9月14日(金)の夜7時から馬瀬西村の馬瀬川において

伝統漁法「火振り漁」が行われた。

場所は23年ぶりに復活した「馬瀬ヤナ」の下である。

夜の河原に焚かれたかがり火はそれはまろやかな輝きを放つ。

西村の漁師7人が川に入る。

カンテラの炎を右に左に振りながら歩く人と竿で水面を叩く人の役目だ。

「ホー、ホー」と漁師の掛け声が川風に響く。

川幅には建網(テイナ)が張ってある。

鮎はかがり火とカンテラの明り、水面に響く竿の音に驚き、

水中に張られた網に追いやられ捕えられるというものだ。

この日は夕方に雨が降ったが増水とまではならず、

夜は蒸し暑さも無く秋の夜風に吹かれる日であった。

この火振り漁は「日本一の鮎料理&火ぶりバザー」のタイトルで、「水辺の館」を会場に

馬瀬地方自然公園づくり委員会と馬瀬総合観光㈱が主催した。

1500円で鮎料理・美輝の里入浴券付というバスツアーも組まれ

定員をオーバーするほどの人気だったようだ。

火振り漁の観覧は無料だ。

火振り漁を解説することやギャラリーに見せるという演出にはかなり欠けるところがあったが、

馬瀬川で火振り伝統漁法が復活されたことは非常に価値があり希望あることだと思う。

馬瀬川の鮎を焼きます!

バザーで「鮎めし」販売

美味!馬瀬川の鮎めし

川面に揺れる松明の明り

幻想的な火振り漁

火振り漁の西村漁師

火振り漁の網に掛かった鮎を外す

火振り漁で捕られた鮎(アマゴもいます)

火振り漁の鮎(右が卵持ちメス・左がオス・右手前アマゴ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月25日(土)、関市のわかくさ・プラザで開催されている

小瀬鵜飼の漁具を紹介する特別展<鵜匠家に伝わる鵜飼用具>を見た。

特別展では小瀬鵜飼の鵜匠、岩佐昌秋氏足立陽一郎氏の家に伝わる鵜飼用具約20点が初公開されている。

餌飼(えがい)の道具である四角形の「鵜籠」は、長良川鵜飼には見られない小瀬鵜飼独自のものである

とのこと。泊り鵜飼で使用する炊事用具一式のせんじ用具、昭和40年頃まで川原で食事をした

食事用具、鵜を運ぶための鵜籠など使いやすさを追求した用具ばかりである。

【餌飼(えがい)】10月15日に鵜飼が終わり、翌年5月11日までは休漁となる。昭和40年代まではこの休漁期間に鵜を川や池などに連れて行き、手縄を付けずに放し、自由に魚を食べさせていた。これを餌飼(えがい)と言う。餌飼には陸路で餌飼場へ向かう陸餌飼(おかえがい)と鵜舟にせんじ用具など積み込み、鵜と泊まり込みで遠方の河川まで出かける<泊り鵜飼>がある。小瀬鵜飼の場合、陸餌飼は津保川や武儀川へ出かけ、泊り鵜飼は11月下旬から翌年1月末頃まで板取川や郡上方面へ行く「上まわり餌飼」、2月初めから3月上旬まで長良川を下り、木曽川などへ行く「下まわり餌飼」が行われていた。(特別展説明より)

鵜匠家の屋号

特別展ポスター

ヒロオケとヤカン(鵜匠が昭和40年頃まで川原で食事をした時に使用)

小瀬鵜飼独自の四角形の鵜籠

手縄・たなわ(鵜を操る縄)

2つ差し・鵜籠(鵜を運ぶための籠)

輸送用鵜籠(日立市十王町から送られてくる海鵜を入れていた)

ロッペ(餌飼の時、鵜のエサとなる捕れた魚を入れておく箱)

せんじ用具(泊り鵜飼で使用の炊事用具一式)

 

 

 

 

 

船津座川床 鮎500匹の香り漂う

飛騨神岡の街を通り抜けた風は高原川の川面をなでるように走る。

それほどに風は生き生きしている。

2012年8月4日、「飛騨神岡ちんかぶ会」主催による鮎会が開催された。

会場は平成の芝居小屋「船津座」の敷地内にあるまさに高原川の川床と呼ぶのにふさわしいオープンスペース。

 

神岡の市街地を貫流する高原川の表情は豊かだ。

鮎釣り人の姿が眩しい。

神岡鉱山時代の装置を改良した手作り鮎焼き器がデンと置かれ、

中では赤々と炭火が熾っている。

ちんかぶ会の人たちによって高原川で捕れた鮎が円形状を描きながら一本一本串に刺され、鮎の身体は熱に包まれるようにこんがり焼き上げられていく。

香ばしさが周りに漂う、鮎の数は何と500匹

昨年秋に捕られた子持ちアユと釣り上げられたばかりの鮎の姿が美しい。

ちんかぶ会の金田幸夫さん

「高原川の風に吹かれ香りと味をたっぷり味わってください」と

鮎が瀬を泳ぐように滑らかな口調であいさつをされる。

【高原川】

乗鞍岳北麓に源を発し、奥飛騨温泉郷平湯、福地の集落を抜け栃尾で浦田川を合わせる。浦田川流入後、神岡町船津を貫流し、その後は富山県堺で宮川に合流、神通川となって日本海に注ぐ。延長59・4㎞。

【ちんかぶ】

飛騨市神岡町の魚方言で渓流の底生魚「カジカ」のこと。
とても愛きょうがあり、食せばまことに美味しい。

船津座から眺める高原川

船津座から眺める高原川の鮎釣り人

子持ち鮎がたくさん!

手作り鮎焼き器

鮎の開きを焼く金田幸夫さん

捕れたばかりの高原川鮎

香ばしさ漂う高原川鮎

焼きたての高原川鮎

子持ちの高原川鮎

神岡女性は元気です!

約60人が鮎会に集まりました

寒干しダイコンも召し上がれ

ノリ巻きおにぎりもあります

 

 

 

 

2012年3月27日(火)は馬瀬の丸八旅館にて漁協の会合が開催され、

第2部において私が伝説の釣り師「山下福太郎」について語りました。

その日の夕食は丸八旅館特製の料理をいただいた。

昨年末に捕れた日本一の馬瀬アユ料理が提供され、味・姿ともそれは見事なものでした。

漁協の皆さま、丸八旅館の女将さん、ありがとうございました。

鮎干しとカジカの天ぷら

馬瀬鮎の塩焼きと丸八旅館女将さん

飛騨牛も登場!

第2「山下竿」を手に持つ漁協の皆さん

2012年1月12日

益田川漁協事務局へ新年のあいさつに出向く。

そのとき下呂のホテルで働く調理師さんが中山七里で釣り上げたアマゴのはく製を

持ってきてみえた。かなりの出来栄えに感心した。

平成17年9月12日に釣り上げたアマゴは体長42センチのオス。

制作者は岐阜市の人とのこと。

中山七里のアマゴ

シリーズ№4 伝説の名竿「山下竿」

伊豆から移住した出稼ぎ釣り師 山下福太郎

<伝説の名竿「山下竿」が下呂市馬瀬の<美輝の里 ホテル美輝>に展示されました。

ぜひ、見てください。

そして新しい川文化に触れてください>

 

「山下竿」とは、伊豆の出稼ぎ釣り師 山下福太郎によって作られた和竿です。

和竿は竹で作った日本独特の釣り竿であり、

<美輝の里 ホテル美輝>に展示される<山下竿>は鮎釣り用です。

竹の原形を生かした4本継ぎで、差し込みには金具が付く。長さ9.3m、重さ1.35㎏。竿元を腰にあてがうため、木の玉が埋め込んである。

この山下竿を所有していたのは馬瀬西村で生まれ育った池田等さん(80歳)です。鮎釣り用の「山下竿」がそのまま現存するのは今やこの一本だけでしょう。

 

<伊豆の出稼ぎ釣り師>

明治40年代から大正初期にかけては、伊豆狩野川の友釣りが飛躍的な進歩をみせ、近代友釣り技法の基礎が確立された時期となる。

鮎は稼ぎになる魚となり、他国の川へ遠征する出稼ぎ漁連中が次々と出現した。

逆さ針や仕掛けを工夫した近代友釣り漁法を大正時代に岐阜県内に持ち込み根付かせたのは伊豆の出稼ぎ釣り師である。

 

山下福太郎(やました・ふくたろう)

1899年(明治32)~1963年(昭和38)

静岡県賀茂郡上河津村(現河津町湯ケ野)出身。

伊豆の出稼ぎ釣り師の中で唯一人、長良川、飛騨川、馬瀬川筋に定住しながら鮎釣りと自作の「山下竿」を売り、杣(そま)人としても生活。

岐阜の土着の釣り人に最も影響を与え、なりわいとしての釣りを発展させた。超人的な水への強さと素っ裸での釣り姿から日本の川釣り人物史上、特異な人物と見られる。「郡上竿」は郡上の竿師たちが山下に学びながら生み出したものである。

昭和15年に41歳で馬瀬村(現下呂市馬瀬)に入る。

敗戦翌年の昭和21年に飛騨萩原へ移り、64歳で亡くなるまでの17年間を飛騨萩原で暮らし、墓は飛騨萩原にある。

 

伝説の名竿 山下竿

山下竿を手に持つ馬瀬川上流漁協組合長 老田達男さん(馬瀬川=馬瀬西村 2011年6月10日撮影

<和竿>(鮎釣り用)

全長 9.3

重量 1.35

継数(本) 4

製作者   山下福太郎(伊豆の釣り師)

製作年   1951年(昭和26)頃

所有者   池田等(下呂市馬瀬西村)

 

<資料作成者>

馬瀬川上流漁業協同組合 組合長 老田達男

岐阜の川人文化研究会  代表  長尾伴文

4本継ぎの「山下竿」

(2011年10月16日)

<参考資料>

岐阜新聞<ぎふ快人伝>

2011年6月19日付

岐阜の川人文化研究会 長尾伴文(寄稿)

馬瀬のホテル美輝に展示される「山下竿」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


倫理法人会「モーニングセミナー」

2011年2月4日(金)

朝6時~

下呂温泉望川館

2月4日、下呂市倫理法人会主催の「モーニングセミナー」の講師となり、

<よみがえれ 下呂の伝統漁法>と題し、川漁文化を語った。

朝6時の開演に合わせ、飛騨金山の家を薄暗い朝4時30分に出発した。積雪を心配したが、幸運にもこの日は雪が降らず、昼にはコートもいらないほどに晴れた。

下呂温泉望川館のセミナー会場には、名の知れた主に下呂、萩原の企業経営者15人程が集まられ、気持ちの良いあいさつが響いた。

「話した主な内容」

<漁ということ>

○海の漁と川の漁。

<海の漁>は漁業として存在。水産高校、水産大学校などでは<海への愛を培いましょう>と海をとりまく水産加工業を学んでいる。

現代の日本には<川への愛を育てよう>と言って、<川の漁>の川水産業は存在せずそれに向けた真剣な国策もない。

○下呂なので川漁(かわりょう)となる。岐阜は山と川の国、川魚(かわうお)の国である。川漁を生業とした時代があった。

○川漁が生業から新しい産業へと発展すること。さらに地域川文化を絡ませ川で魚を捕って遊び、思い切り食べて飲んで楽しめる川遊び文化が根付くことが21世紀の最大課題だと思う。

○<我がふるさとの思い出>となったとき、釣りをするしないに関わらず誰もが<川と魚捕りのこと>を語る。

<伝統漁法とは>

○網で捕る<網漁>、竿などで釣る<釣り漁>、突いて刺して捕る刺突(しとつ)漁、ウエや仕掛けなどワナに落とし入れてとる陥穽(かんせい)漁に大別。昔から行われているこれらを<伝統漁法>ととらえる。

○重要なこと→これら漁法が木曽川、長良川、揖斐川など流域ごとに違うということ。下呂、益田地区でも益田川、馬瀬川、大洞川、さらの支流の和佐川、竹原川、菅田川とその川その川で独自の漁法が存在する。

この違いが川文化であるということ。

○岐阜県下に伝わる幻の漁法を紹介。

○アユの友釣り→友釣り発祥地である馬瀬西村→朴の木を割いてアユに似せて作り、その朴の木アユを親アユとして友釣りを行う。

○魚の呼び方が地域ごとによって違う、魚の方言がある。

当然、漁法の言い方もそれぞれの河川で違う。

○あらゆる漁法は現在、眠っている。または忘れ去られてしまった。

これらの漁法をその川その川で再現したい。

<禁止漁法の復活>

○イベント的手法など用い禁止漁法も復活。

○禁止漁法とは。ダイナマイト、電気ショッカーなど使用し水中の魚群を気絶させ浮上させる<爆発漁法>、<電気ショック漁法>、大ハンマーなどで石を叩く<かち割り漁法>、椿の油粕などを流す<毒流し漁法>など。

<漁法の対象となる魚>

○鮎、あまご、ヤマメ、ウナギ、サツキマスなど商売になる魚。

<鵜飼について>

○現代、観光化している伝統漁法の最先端は「鵜飼」。全国11府県13カ所で開催。全国でも長良川鵜飼、関小瀬鵜飼が商業ベーストップクラス。

岐阜県人の9割が鵜飼舟の体験がない。

○鵜匠が浅瀬を歩いて操る「徒鵜鵜飼」(かちうかい)は山梨県笛吹川と和歌山県有田川。島根県益田市の高津川では全国唯一鵜に手綱をつけない「放し鵜飼」。

○私は<下呂鵜飼>を8年程前に提案した時、漁協役員に怒鳴られた。川鵜被害で困っているのに鵜を放つとは何事かと。

「放し鵜飼」の説明。鵜はクチバシで見事にアユをチョンチョンと追いながら主人のところまで連れてくる。

<伝統漁法を支えてきた人たち>

○伝統漁法を支えてきた「漁具」とそれを作る人の存在。

○各家庭に眠る昔の漁具を集め、さらに存在する漁具のデータ化について。

○今年4月から川ごとに収集した漁具コレクション展示での公開について。

○漁撈用具の国の重要有形民俗文化財

山形県(庄内)最上川水系 埼玉県→荒川水系 岐阜県→長良川鵜飼

広島県→江の川流域

○明治、大正、昭和を通じた鮎の伝説釣り人の紹介。

○伊豆の釣り師伝説について。

○川人文化センター計画について。

<魚食文化>の重要性

○ただ魚を釣る、捕る、伝統漁法を再現するだけではなく、<川魚を食べる>ということ。<川魚を食べれば骨太に育つ>の理念。

○アジメドジョウは美味しいということ。

○アジメドジョウの漁法とその調理の紹介。

○下呂の地に来た人は「これだけ川や鮎のこと言うのに、煙をあおりながら気楽においしく食べれるところが一つもないということ」「馬瀬鮎が日本一というならば食べれるところがない」

○サツキマスや鮎、アマゴ、ウナギ、アジメドジョウの新しい食べ方を開発、提供していきたい。

<魚が棲める山と川の環境づくり>

○伝統漁法を復活、川文化を創り上げる根幹にあるのは魚が棲める川。人間の手により破壊してきたことへの反省と対策。

<形にした川プロジェクトについて>

○「ましたの川マップ」づくりについて。

○「跳ね上がれ川漁」(長尾伴文著)→幻の川漁本として評価が高い。

○「ましたの絵本」(長尾伴文企画)→アジメドジョウ漁法、伝統料理を創作絵本にした。

キラリ輝く下呂焼石の釣具・漁網店

下呂焼石の釣具・漁網「竹田屋」は、質の深い品揃えと釣り人情報、そして店主の人柄からキラリと輝く存在で、地域だけでなく全国の釣り人から愛されている。
店内は現代釣具商品の中に混じって手作りタモも並べてあるものだから眺めるのが楽しい。
12月初旬もフラリと立ち寄りタモ作品を手にとりながら「古い漁具はないですか」と聞くと、店主の細江照美さんが奥の部屋から大きなウエと二つの竹ビクを持ち出された。
ウエは武儀町の人が最近作られたそうだが美しい。今の時代は竹や削り道具、接着剤など高性能なモノが揃うため、本気で作ろうと思えばかなりハイレベルのウエが出来上がるようだ。
一方、二つの竹ビクは一昔前の職人が丹精込めて作り上げたものだろう、きめ細かさがにじみ出ている。一つは非常に珍しい四角いビクで、もう一つの丸いビクはアジメドジョウも入れたのだろうと思う。
この竹のウエとビクは売ることができないということだ。

四角型ビクと丸型ビク


「竹田屋」のウエとビク

地域社会の創造活性化プランナー

長 尾 伴 文

<ましたオフィス>

〒509-2623

岐阜県下呂市金山町菅田桐洞130

E-mail nagao@maiyama.com

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